今年は多くの企業が9連休となり、海外旅行に出かける人も多かったと思います。
兵庫県知事選の問題も収束しないまま、文春砲がさく裂した芸能界。
その芸能界では特定のグループへの誹謗中傷がしばしば話題になりますが、年始早々、企業アカウントで全く社業と関連の無い特定のアーティストを非難し、廃業に追い込まれた企業がありました。
この短期間で廃業を決めたことは驚くべきことでしたが、それ以前から企業の公式アカウントとは思えない個人の感想を述べた投稿が多くみられたこともあり、「あまり企業の広報として一般的な事例ではない」という見解が多数を占めるようですが、他山の石とせず、ココから考えるべきは、
「思考」と「選択」をせずにインスタントに言動を繰り返す現代の風潮について見直し、自ら深く「思考」して「選択」することを広報活動でも行っていくことが大事なのではないかということです。
広報活動における「無思考」の影響
インターネット全般、とくにSNSの世界では自らがメディアを持ち、指先一つで発言できることから、無意識な発信のリスクが高まります。
個人的な見解を公式の場で述べたり、受け手に誤解や嫌悪を引き起こしやすい表現のまま発信したり、その影響を十分に予測しないタイミングで発信するなどです。
本来人間に備わっている思考と、企業の広報の立場という選択肢を考えれば、これらは簡単にリスクヘッジできるものです。
「思考」することで炎上を防ぐことはできる
速報性・即時性のたかいSNSに頼り切らず、「思考」することで炎上は簡単に防ぐことはできます。
逆を考えれば、「思考」することが当たり前であると心得ていれば、炎上などそう簡単にするものではないだろう、というような事例が最近あまりに多い。
「思考」することの重要性は、
1.多角的視点を習慣化することができる
自分や自社の発言が、受け手側の多様性に沿うものか、社会的文脈と合致するかを常に考えることができるようになる
2.感情のフィルターを設けることができる
感情的な発言のリスクについて考えることができるようになる
3.「受け手の立場」の思考実験を常に行うことができる
元々、自分で発信したい内容があるならば、それがどのように受け止めらえるかを多角的に考え、共感能力を高めることができる
と、普通の心理状態であれば本来当たり前の人間の消費行動を、「思考する」ことの欠如で失いつつあることが容易に想像できると思います。
メディアの進化と人間の思考力
「思考する」という行為は、単に炎上を防ぐために行うものではありません。
発信方法が簡便になり、その拡散力は簡単に高められ、発信の内容すらAIが考えてくれるようになったからこそ、
自社にとって、「何を発信したいのか」その考えをクリアに持つことが求められます。
作業自体は簡単になったからこそ、自社の発信したいものをクリアに持つことで、取捨選択も間違わずに行えるようになり、共感力は拡張子、自己表現が洗練されていきます。
…メディアが進化すればするほど、基本の「思考力」が試されると言ってもいいかもしれません。
まとめ
炎上は社会の縮図であり、個人や組織の言葉や行動が群衆心理の中で増幅される現象です。しかし、「思考する」ことで、その多くは未然に防ぐことが可能です。発信前に多角的な視点で熟考し、他者への共感を持つことが、結果的に信頼を得る最良の方法です。また、「ミスは起こりうる」という前提で、炎上後の対応にも思考を生かし、誠実で透明なコミュニケーションを続けることが、持続的な信頼を構築します。